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満開となったソメイヨシノが、ゆるやかな風に揺れながら、多くの花びらを放っている。その様子を見上げながら、白い帽子とＹシャツとスラックス、黒い革靴の少年がため息をついていた。少年の手には、この場所でトイブルームと呼ぶホウキと、ダストパンと呼ぶチリトリが握られていた。
絶え間なく降り注ぐ花びらは、ゆっくりと揺らめきながら、舗装された赤色の地面に降り注いでいる。周囲は西部開拓時代のアメリカの風景だったが、川の近くに大きなソメイヨシノの木が一本だけ植えられているのだ。隣には蒸気観光船の乗り場があり、花びらは乗船しようとする人たちの間を通り抜け、ゆったりと流れる川へも落ちていく。
そのまますべてが川へ降り注げばよいのだが、多くの花びらはきれいな地面に舞い降りていた。
少年がため息をついていたのは、絶え間なく降り注ぐ花びらに対してであった。少年は、この花びらをすべて掃きとる使命を帯びていた。
「どうした？ 悩み事でもあるのか？」
声をかけられて振り返った少年は、緊張で途端に顔を赤らめた。泣く子も黙るといわれた水島が立っていたのだ。春とはいえ、この暑い日に黒い上下のスーツに真っ赤なネクタイ。耳や襟元に髪の毛はかからない程度の髪の毛は、イライアスルックといわれるこの場所での規則どおりに整えられていた。そして、胸には少年と同じネームタグがついていた。これは同じ仕事をする仲間という意味でもあるが、少年は単なるアルバイト、水島はその頂点にたつ社員の責任者だった。
「オンステージでため息をつくのは、かっこよくないぞ。君はキャストなんだ。……たしかに、ここの掃除はきりがないが、ちゃんと意味があることなんだぞ」
水島はさわやかに笑いながら、少年の肩を叩くと、川沿いへ向かって速い歩みで去っていった。
少年はふたたびため息をついたが、いくら息をはいても、落ちる花びらはいっこうに減らない。少年はもう一度小さくため息をはくと、ふたたび、トイブルームとダストパンを動かし始めた。
少年は日本で一番有名なテーマパーク、「東京イライアスランド」のキーピングキャストと呼ばれる掃除の仕事をするスタッフの一員であった。
東京イライアスランドは、アメリカのアニメ映画王ウィリー・イライアスが自分の作品を現実に再現するために、アメリカのカンザスに作った巨大なテーマリゾートの一部をコピーしたものであった。イライアスは、自分が作った映画やその中の世界をテーマに、巨大な公園を作り上げたのだ。その公園の中には、作品を体験できるいくつものアトラクションが作られた。
そのテーマパークを日本へ誘致しようと、東洋開発という企業がイライアス社とライセンス契約を結び、神奈川県川崎市の埋め立て地に作ったのが、東京イライアスランドであった。
川崎にあるのに「東京」と名前がつくのは、「東京湾を埋め立てて作ったため」と東洋開発は説明するが、川崎イライアスランドというよりも、イメージ的によい、と考えたのは誰の目からも明らかであった。
六〇平方キロメートルの規模を有する東京イライアスランドは、ストリートバザール、チャレンジャーランド、アメリカンランド、フェアリーランド、ディスカバーランドの五つのテーマランドから成り立っていた。
ここで働くスタッフは「キャスト」と呼ばれ、それぞれの役割を演じる役者である、というということになっていた。一方、客は「ゲスト」と呼ばれ、招いているお客様としてサービスを提供することになっていた。
ふつうの遊園地とは違う「テーマパーク」という観念を日本に初めて持ち込んだ東京イライアスランドが開園してすでに二〇年……のべ三億人のゲストを迎え、不況に苦しむ日本のサービス業界で唯一の勝ち組企業として、その地位を不動のものにしていた。
雲一つない晴天の四月一日土曜日、この日は東京イライアスランドが二〇周年を迎える日だった。透けるような青空の下、朝から多くの人が入場ゲート前に列を作った。
午前八時の開園とともに、入場ゲートをくぐりぬけたゲストたちは足早に目当てのアトラクションへ向かった。ついさっきまで朝の掃除をするキャスト以外、人の姿が見えなかったパーク内に、われ先にと進むゲストの波がいっせいにひろがり、時間を追うごとにその密度は増していった。
午前１０時、運営会社は入場制限を行う決断を下した。東京イライアスランドの許容収容人数は一日一二万人。これを越すと、サービスの質を維持することができないのだ。そのため、入場者数が六万人を超えた時点で入場制限を開始することになっている。制限を行うことによって、当日券販売は停止され、当日指定券をもったゲストのみ入場することがてきるのだ。当日指定券は何枚販売されているか数を把握しているため、入場者管理はしやすいし、第一当日券をもったゲストまで追い返すわけにはいかない。まさしく、お招きしたゲストなのである。
この日は記念すべき二〇周年初日ということで、入場者には記念バッジが配られたほか、東京イライアスランドのシンボル、フェアリーキャッスル前に作られた特設ステージで、スペシャルイベントショーの初日を迎えることになっていた。それが土曜日と重なったため、運営会社の予想を越えるゲストが訪れていた。それは嬉しい悲鳴でもあったが、テーマパークとしてサービスの質を低下させるようなことはできない。成長を続けながら二〇周年を迎えることができたのも、ひとえにこの姿勢によるものであった。今ではアメリカ本国から、サービス維持のノウハウを提供を求められるほどなのである。
十一時三十分の時点で、東京イライアスランドで現在もっとも人気があるアトラクション、「ピーくんのフードハント」は２時間待ちとなった。このアトラクションは、童話「ぶたのピーくん」のお話をライドに乗って体験するもので、去年の四月にオープンしたばかりであった。毎年、新しいアトラクション、ショー、パレードなどを投入してゲストを常に飽きさせない工夫もしなければならない。そうしなければ、何度もここへ訪れてはくれないのだ。今年の目玉はなんといっても、二〇周年を彩る様々なショーやパレードの数々であった。
アメリカンランドにあるジェットコースター「グレートウェーブマウンテン」は９０分待ちとなり、待ち列は百メートルにもなっていた。ふだんは空いている、アメリカンランド内の島へ渡るいかだ乗り場ですら、行列ができていた。
すでにこの混雑を予想していた運営会社は、この春一番の人数のキャストをそろえて対応していたが、十二時三十分にはグレートウェーブマウンテンのあたりを中心に各所でトラッシュカン（ゴミ箱）からゴミがあふれ出す事態となった。
この日、アメリカンランドのキーピングキャストを指揮していた社員でスーパーバイザー（統括責任者）の水島は、正規の出勤時間より早めに来ていたキャストに早出出勤を要請し、ゴミ回収に当たらせたので、一時的には沈静化した。
しかし、これがつかの間の安定でしかないことを、ゴミを満載した２輪カートを押しているキャスト歴５年の磯田は知っていた。
「こりゃ、やばいよ、今日は」
磯田がつぶやいたように、この日の混み方はここ数ヶ月経験したことのないもので、彼が懸したのは、ベテランキャストが少ないことであった。この日勤務についていたキャストの多くは春休みに採用された人で、混み合う日は経験していても、ゴミで「荒れたエリア」を知らないのだ。
水島もまた、同じような懸念を抱いていた。彼は休憩もとらずにアメリカンランドを見回り、無線でそのつどアルバイトを統括するワーキングリード（リード）と連絡をとったり、直接アルバイトのキャストに指示を出して、これ以上の事態の悪化を防ごうとしたが、昼時で飲食物が大量に販売されたこともあって、エリアはポップコーンを中心とした飲食物のゴミで荒れていった。おまけに、晴天で気温も上昇したため、アイスやジュースの売れ行きもどんどん増え、それに応じてエリアの中にはこぼれた液体やシミがあちこちで目立ち始めた。
「モップはどうしたんだ」
シミで汚れが目立つ地面に気づいた水島はリードで入社の２年目の香取に訊ねた。
「いえ、いませんけど……」
「じゃあ、すぐに二人くらい出動させろ」
「しかし、人がいませんが」
「エリアは現状ではどうにもならん。スイーパーから何人か割けばいい。ジュースがこぼれっぱなしよりは、ずっといい」
わかりました、と香取はモップにふりわけるキャストを探しにいく。
キーピングキャストには、地面をトイブルームとダストパンなどを使って掃除する「スイーパー」を中心に、こぼれものを拭き取ってまわる「モップ」、トラッシュカンのゴミを回収する「ダンプ」、レストルーム（トイレ）の清掃を担当する「レスト」の種類があった。
東京イライアスランドのキャストは全員で一万人、彼らのほとんどはアルバイトで土日は学生、平日はフリーターやパートである。そのうちキーピングキャストは八百人で数ある職種の中ではもっとも多い人数を要していた。アメリカンランドだけでも、一五〇人のキーピングがおり、朝・昼・夜・夜中のシフトに分かれて勤務していた。そのアルバイトたちをどう動かすかは現場の社員たちにかかっている。
リードたちがもう少し主体的に動けば、わたしも楽なのだが、と水島は肩をすくめたが、その間にも事態はさらに悪化していく。
ゲストがいる部分を東京イライアスランドでは「オンステージ」と呼んでいる。ここはキャストが演じる場所であり、ゲストが楽しむ場所でもあるという意味である。それに対して裏側にある従業員施設や倉庫などがある部分を「バックステージ」と呼び、ゲストからは見えないように敷居や樹木などを使って巧みに隠されている。
軽やかな音楽とゲストの喧騒に満ちたオンステージと壁一つ隔てたバックステージでは、やっと休憩がとれたキャストたちが疲れた顔を見せ合っていた。
「なんでこんなに混んでるんだ」
「そりゃ、今日は祝日だからな」
「そんな日に遊びに来れば、混んでいるんだって、わかりそうなもんじゃんか」
「俺たちみたいな暇な学生でもない限り、平日になんか来れるわけないだろ。だから、みんな休みの日にいくんだよ。混んでいるとわかっていても」
「混んでいるのをわかってるのに遊びに来て、混んでるね、っていいながら、疲れ切って帰るのか？ぼくはやだなぁ」
「世の中、お前みたいなやつばかりだったら、今日こんなに疲れないのになぁ」
いつもは陽気な会話が飛び交うブレイクエリアも、この日は重苦しい空気に包まれていた。キャストたちは話す気力も失せ、休憩時間が終わるまでぼんやりと過ごしたのであった。規程どおり休息をとっても、終わればすぐに戦場のようなオンステージへ出なければならない。どんなに疲れていても大変で焦っていても、ゲストから声をかけられれば、にこやかな笑顔で接する。彼らは掃除人である前にゲストをもてなすホストでなければならない。汗だくになりながらも、笑顔でゲストからの質問に答え、カメラを預かって写真を撮影する……それがキャストたちの矜持でもあったが、この日ばかりは笑顔もひきつりがちであった。
昼頃になると、ファーストフード系の店を中心にエリアの汚れが目立つようになってきた。各署に配置したベテランキャストのスイーパーが技とパワーでなんとか悪化を防いでいたが、それも一部のみで全体としては目に見えて汚れが目立っていった。
午前中はダンプをしていた磯田は、午後からスイーパーとしてトイブルームとダストパンを握ることになった。通常は指定されたエリア内を巡回しながらスイーピングしていくのだが、水島直々の特命で、アメリカンランド全体をまわることになっていた。
細く軽いトイブルームをすばやく回すように動かし、ごみを飛ばすようにダストパンへ掃きいれる。これがスイーパーの基本動作であるが、ベテランになると、これに踊るようなしぐさを混ぜながら、パフォーマンスのようにスイーピングを繰り広げ、ゲストから歓声を浴びる。一種の職人技のようなものだ。
磯田はそれをソーシャルダンスのような優美な動きで、スイーピングを披露することができた。しかも正確なトイブルームさばきで、スイーピング自体は無駄な動作もなく、ごみを掃きとるのだ。
「おれがエリア中飛び回ってもどうにもならねえよ。水島、なんとかしろよ」
そう不平をつぶやきながら、磯田は自分の力の限り、動き回っていた。彼だけではない。ゴミの回収はダンプ部隊がフル回転で動き回り、トラッシュカンからあふれだす事態を回避している。女子レストルームはどこも外まであふれるほどの行列となっていたが、レスト担当のキャストがゲストの間をすりぬけ、なんとか待ってもらって懸命に個室清掃をこまめに実施していたので、テーマパークの名を汚すような状況には陥ってなかった。スタンダードを最優先としている東京イライアスランドとしては、芳しくない状況である。
「……そろそろ限界だな」
ランド内を精力的に歩き、適確な指示を出しつづけていた水島は、キャストたちの疲労がピークになっていることを感じていた。
いつもは「もっと、しゃきっと歩け。うちは他の掃除人とは違うんだ。もっと華麗に元気よく、笑顔でホウキを振り回せ」などと、アルバイトのキャストたちに声を掛けていたが、今日はさすがにそんなことをいえるような雰囲気ではなかった。
本当は、すでに収容限界を超してゲストをいれているのではないか。今日の予想人数に対して用意したキャスト数が少なかったのではないか。今日の人員配置に問題はなかったか……水島の頭をさまざまな考えが過ぎったが、どれも後ろ向きな意見ばかりであった。
午後一時頃になると、アメリカンランドのメインロードにゲストが敷物を敷いて陣取る姿を多く見かけるようになった。三時からパレードが始まるのだ。このエリアでは、パレードルートのエリアをメインロードといっていた。
アメリカンランドは、パーク内を一周するパレードルートの一部がある「メインロード」、グレートウェーブマウンテン周辺部の「グレート」、西部開拓時代の町並み「カントリー」、ミシシッピ河の岸辺「リバー」、そして河にかこまれたサム・クレメンス島「サム」と五つにエリア分けして、それぞれにキーピングキャストを配置していた。とくに、人通りの多いメインロードとカントリー、次にグレートを最優先清掃場所と定めている。しかし、今や最優先場所すら、分刻みで汚れが目立っていくように見えた。
二時を過ぎる頃には、メインロードやほかのランドのパレードルートもゲストで埋め尽くされた。かといってそれ以外の場所が空くこともなく、アメリカンランドは人で賑わっていた。事態は好転しそうにない。春のおだやかな陽射しがエリアを照らしていた。
十四時二〇分、水島はバックステージのキーピングオフィスにリードたちを集めた。
「このままでは、アメリカンランドは全面崩壊してしまう」
水島は断言した。反論する者はいない。すでにその予兆は各所から報告されていた。グレートウェーブマウンテン入り口のトラッシュカンは断続的にあふれている。アメリカンランドでもっとも大きな女子レストルームは表にまで行列はあふれ出し、個室清掃をなかなか行なえず、女子レスト担当のキーピングは立ち往生していた。キャストが手薄なミシシッピ河沿いのエリアは、地面に落ちて踏み潰されたポップコーンで白く塗装されているようにも見えた。休憩もきちんととれないキャストたちも疲労の色が濃くなっている。
これらの状況がアメリカンランド全体へと波及しようとしていた。
このうえ、パレードを待っているゲストのいる場所は清掃ができない。パレードが終わって、ゲストがその場所を立ち去るときには、残していくゴミで大変な状況になるだろう。
「そして、アメリカンランドは回復不可能なほど荒れてしまうのだ」
沈痛な面もちで水島は自分の部下たちを見渡した。
「それを防ぐために、今からいう作戦を実行する。それは……」
説明を聞き終えたリードたちは、一応に驚きを隠さなかった。水島が提示した作戦は、パレード中、スイーパー担当のキャスト全員を一つの部隊にすべてまとめ、グレートウェーブマウンテン周辺に投入して、一気に清掃するというのである。
「しかし、それでは、メインロード周辺やミシシッピ河沿いが手薄になります」
リードの一人が反対した。
「どうせ、メインロードはゲストがごったかえすのだ。ほとんど清掃などできないのに、キャストを配置しても、遊兵となるだけだ。レスト前ににスイーパーを一人置けばいい。河沿いは、グレート周辺の清掃が完了したら、そちらに移動させる。レスト部隊とダンプ部隊はこれ以上どうにもならないので、現状の体制を維持。パレードが始まるまでは、メインロードにダンプ二人とスイーパー二人、モップを一人配置。ほかに何かあるか？」
ほかにどうも方法はないようだ。部下たちは水島の意見にしたがい、行動を開始した。
リードは手分けして、アメリカンランドに散らばるキーピングたちに声をかけた。作戦を聞いたキャストたちは一様に顔をひきつらせ、中には「そんな無茶な」とつぶやいた人もいたが、この状況では従う他に道はなかった。
『あと少しで、昼のパレード、イライアス・ファンタジー・クラシックスパレードが行われます。お楽しみに……』
日本語に続いて英語のアナウンスが園内に流れ、ゲストの期待はさらに高まる。あれだけ混み合っていたグレートウェーブマウンテンも３０分待ちとなり、列のロープも取り払われようとしている。行列のあった場所は、踏みつぶされたポップコーンで塗り固めたようになっていた。
グレートウェーブマウンテン近くのカレーショップ前にスイーパーたちは集結した。
「全員、グレートウェーブマウンテンの周辺をスタンダードな状態に戻すのだ」
十五時、パレードがスタートすると同時に、作戦は開始された。パレードルート内を清掃していた部隊も加わり、総勢一二名のスイーパー、広範囲にゴミを集めることができるプッシュブルームをもつ四名、三名のダンプ、二名のモップが一斉にグレートウェーブマウンテンとメインロードの間のエリアを一気に制圧にかかった。
これだけのキーピングが投入されれば、ちらばったポップコーンも、あふれかえったトラッシュカンもひとたまりもない。見る見るうちにゴミは消滅していった。
行列のあった場所にひきつめられていたポップコーンの破片たちも、ゴミを一気にかき集めることができるプッシュブルームとスイーパーとの絶妙のコンビネーションによって、元の赤い地面へと回復していった。
十五時十三分、パレードの音楽とゲストの拍手がアメリカンランド内に聞こえる頃には、エリアの八割はきれいになっていた。
「よし、朝番のメンバーは引き続き作業に当たれ。それ以外のみんなはミシシッピ河沿いへ移動するんだ」
水島の指示が飛び、キーピング部隊は河の方へ移動した。アメリカ河沿いはエリアも狭く、パレード中はゲストの通行も少ないので、すぐにゴミは殲滅された。グレートウェーブマウンテン周辺も掃討作戦は終了し、ゴミもほとんどなくなっていた。
パレードも終盤に近づきつつある十五時二五分、水島の指示がアメリカンランドの全キーピングキャストに届く。
「全スイーパーとダンプは、ただちにフェアリーランド境へ集結。メインロードを一気に制圧する」
フェアリーランドとアメリカンランドの境にスイーパーと二輪カートをもつ全ダンプ担当のキーピングが、エリアを横断する鉄道の陸橋下に集結した。先頭には水島が立っている。本来、キーピングキャストを指揮する立場であるスーパーバイザーは指示をするだけなのだが、このときは彼も自らスーツ姿のままプッシュブルームを持っていた。総力戦なのである。
十五時二十九分、イライアスランドのメインキャラクターであり、象徴でもあるモーティマ・マウスを乗せた最後のフロートが臨戦態勢のキーピングの前を通り過ぎていく。ゲストに手を振っていたモーティマは、彼らキーピングたちにも手を振った。キャストの何人かもそっと手を振りかえした。
モーティマ・マウスがキーピングたちに向けて手を振ったことで、キャストの多くはこの作戦の成功を信じた。人々の夢をかなえるイライアスマジックは健在なのだと思わせる何かが、あのキャラクターにある。いや、それを信じているから、キャストたちはどんなにつらい仕事でも、ここで働いていくことができるのだ。ここは、夢と希望の王国なのである。それを守っているのがキーピングキャストなのであった。水島もプッシュブルームをにぎる手に力が入る。
フロートがすべて通り過ぎ、音楽が終わった瞬間、水島は配下の全キーピングにメインロードへの突入を命じた。十五時三〇分のことである。フェアリーランド境からキャッスル前ガーデンとアメリカンランドをつなぐ橋までのエリアを、いつものきれいなスタンダードの状態に回復するときがきたのである。
しかし、すぐには突入できなかった。座っていたゲストが立ち上がり、立って見ていたゲストはその場所から離脱しようとして、メインロードはごったがえしていた。人混みに分け入るのが得意なスイーパーでも、なかなか前へ進むことはできない。
「磯田、山本、二人は先行して橋の方へ進み、ポップコーンの固まりを中心に掃き取れ。加藤と坂本はトイブルームとダストパンはここに置いたまま、素手で大きなゴミを拾い集めるながら進め。モップ部隊もペールはここにおいて、モップだけで先行するんだ」
人混みのなかでプッシュは使えない。水島は先行部隊をさきに突入させ、ほかのスイーパーとプッシュの部隊は、人の固まりが消えつつあるフェアリーランド境の回復を優先することにした。フェアリーランドよりもアメリカンランドの方がきれいだ、という状況を作りたいという心理が水島のなかにはあったかもしれない。
十五時三四分、メインロードを占拠していたゲストの密度が薄くなったことを確認した水島は、全部隊の投入を決断した。
「総員、橋の方へ向けて出動」
横一列に並んだプッシュ三人を先頭に前進を開始した。プッシュはすぐにポップコーンの固まりなどで立ち往生し、その間隙を縫って、スイーパー部隊が先行していく。
「あまり先走るな。プッシュが集めたゴミの殲滅を最優先。ゲストの通行の邪魔にならないように動くんだ」
プッシュを手に後方からついていく水島が声を出す。先に進もうとしたスイーパーは速度をゆるめ、プッシュの周りを動き回りながら、ゴミと格闘していく。
一方、先行していた磯田、山本はダストパンに溜まったゴミを何度も破棄しつつ、橋までたどり着いた。
「どうします、磯田さん？」
「本隊はやっと中間地点か。レストランの前で出入りするゲストに阻まれているようだな」
「このあたりで掃除しながら待ちますか？」
「いや、もう一度戻って本隊と合流しよう。我々だけでは、回復できそうにない」
ほかの場所へ移動しようとするゲストが錯綜するメインロードの中に、二人は戻っていった。十五時四一分、中間地点近くのポップコーンワゴンで二人は本隊と合流した。メインロードにあふれていたゲストもほとんどが他の場所に移動し、通常の人通りと同じになっていた。
「一気にかたをつけよう。総員進撃速度を上げ、一気に橋まで進むんだ」
そういって、水島はプッシュを押しながら先頭を進む。現在、アメリカンランドのキーピングはメインロードに集中している。その間、ほかのエリアが手薄になっているのである。早めに決着をつけないと、せっかく改善しかけた状況が悪化する可能性は充分にあるのだ。
スーパーバイザー自らが先頭に立って、キーピングのパレード後処理部隊は、橋に向かって進撃を続けた。途中でゲストから道を聞かれたり、写真撮影を頼まれたり、そのたびに笑顔で立ち止まりながらも、全体としてスピードを落とすことなく突き進んだ。
水島はそうして、橋の上までやってきた。４号橋と呼ばれるこの場所からアメリカンランドの方を眺める。行き交う多くのゲストの中で、白い服を着たキャストたちが動き回っている姿がよく見えた。傾いていく太陽がアメリカンランドの赤い地面を際だたせて、全体をセピア色に染めていた。キーピングの活躍でメインロードに広がっていたゴミもほとんど殲滅し、トラッシュカンのゴミも回収することができた。この状態をどこまで維持できるかわからないが、あともう少し陽が陰れば、地面に残るゴミは闇と共にエリアへ溶け込んでいくだろう。
今日の作戦は終了したのだ。
「だいたい、終わったようですね」
磯田がいつの間にか、水島の隣に立っていた。
「ごくろうさん。磯田はもう上がる時間だったな」
「ええ、あの状態が続いていたら残業になるかと思って、ひやひやしましたよ」
「早く帰らなきゃならない理由でもあるのか」
「仕事が終わったら、ナイトパスポートでここへゲストとして遊びにくるつもりなんです」
「……アメリカンランドで、ものは食べるなよ」
二人は疲れた顔をひきつらせながら笑った。
「現時刻をもって作戦を終了。キーピングは通常体制に移行する。朝から出勤の人はこれで仕事は終了だ。ブレイクをとっていない人はローテーションを組み直して各自とるように。あとは、それぞれ元の配置に戻って、エリアの清掃を続けるんだ。……おつかれさまでした」
十五時四八分、水島は橋の前に集まったスイーパーたちに頭を下げた。一仕事終えたスイーパーたちはほっとしたようにそれぞれ微笑むと、再び動き出した。東京イライアスランドが閉園するまで、あと六時間はあるのだ。ここで安心しているわけにはいかないのである。東京イライアスランドをきれいな状態に保つのがキーピングの使命なのだ。
東京イライアスランド、それは夢と希望の王国。
〈了〉
前のサイトで掲載していたのはもちろんＴＤＬの話だったのですが、他で使う必要があり、架空のテーマパークを設定して一部書き直したのですが、どうでしょうか。「イライアス」とか、どこから名前をとってきたのか、わかった人は、かなりのディズニーランド通ですな。
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